夢、何処 4
 春の陽気が気温を穏やかに上昇させる午後。大きく開け放たれた扉の間から陽射しの差し込む執務室で、時頼は一人の男と対面していた。人払いをし、室内には彼と客しかいない。
「久し振りじゃな、時頼。いや、今は執権殿と呼ばねばならんかの?」
「ご無沙汰致しておりました。お爺様にはお元気そうで何よりです」
 時頼は、下座の大入道に頭を下げた。
「いやいや、長く山で座禅ばかり組んでおったのでな、すっかり足腰が弱ってしまった。お蔭で鎌倉までが思うたより長くてな。わしも年をとったものじゃ」
 体を揺すって、大入道――安達景盛は笑った。彼は安達家の先代の当主であり、時頼の母方の祖父にあたる。安達の家を幕府随一の御家人の地位に押し上げたのは彼といっても過言ではない。
 一体何が鈍ったというのだろう、と内心顔を顰めつつ、時頼は器用にも呵呵大笑する祖父に合わせるように顔の筋肉を動かした。
 景盛は出家僧らしく剃髪し袈裟を身に纏ってはいるが、その立居振る舞いには迂闊には近寄り難い殺気のようなものが溢れている。荒武者として名の知れた往年の存在感は、十年ほどの隠遁生活くらいでは少しも丸くなってはいないらしい。仏の道の修行も、剃刀のような雰囲気をより鋭くさせこそすれ、悟りを開き俗世から遠ざかる方には働かなかったようだ。まかり間違っても、春の陽射しの中穏やかに茶を啜っているような好々爺にはなり得ない人物だろう。
「久し振りの鎌倉はいかがですか」
 世間話の延長で時頼はそう口にしたのだが、とたんに景盛の表情から笑みが消えた。しまったと思いはしたが、口にした言葉は取り返せない。
「そのことじゃがな、時頼」
 敬称すらなく、孫をひたと見据えながら景盛は現在の執権を呼んだ。武骨な、法衣の似合わぬ身体が、尚一層膨らんだような錯覚を覚えて、時頼は僅かに眉を顰め、肩を竦めた。
「儂は高野の山寺に篭もっておったからこちらの事情はそう深くは知らぬ。だが経時が死んでお前が執権に就いてからのこの一年――お前は良くやったと思うておる」
 時頼は無言で頭を下げた。
「じゃがな、時頼」
 頭の上から降る低い声に萎縮する己の身体を、時頼は知覚した。情けないことだが、頭をあげ祖父を見ることに抵抗感さえ感じてしまう。
 幼い頃泰盛と並んで叱られたときのような、何とも言えぬ不安が背筋を走る。安達の館で育った時頼は、よく悪戯を見つかっては雷を落とされていたのだ。同じ孫とはいえ北条得宗家の次男と自分の内孫の扱い方に厳然とした差をつけていた景盛は、基本的に時頼に手を上げることはなかったのだが――政務に忙しかったもう一人の祖父や物心つく頃には鬼籍に入っていた父よりも、時頼にとっては身近で、そして無条件に怖い存在だった。
「はっきり言わせてもらえば、三浦の小僧のでしゃばりは気に食わぬ」
 単刀直入な言葉に、時頼は祖父に対する反射的ともいえる恐怖心を振り払って顔を上げた。ひたとこちらを見据えてくる厳しい視線を正面から受け止める。
「三浦は野心家じゃ。己が生き残るためなら手段を選ばん。昨年の騒動にしてもそうじゃろう? どちらにつけば利があるか――どうすれば己が無事でいられるか、奴らの考えておるのはそれだけじゃ」
「つまり――三浦殿に気を許すな、ということですか」
 孫の言葉に満足したように、景盛は大きく頷いてみせた。
「その通りじゃ。三浦なぞ、元々は経時やお前、ひいては得宗家を快く思っておらなんだ者。旗色を呼んで己の居場所を変えるような卑怯な輩を、おいそれと認めてはならぬぞ。一度寝返ったものに二度目がないとは決して思うな」
 武骨でまっすぐな――堅物、頑固者と呼ばれる者に相応しい祖父の言葉に、時頼は無言で目を細めた。坂東の荒武者という言葉をそのまま形にしたような気性である。裏切りや寝返りを軽蔑こそすれ信用などしない。景盛にしてみれば、のうのうと幕府の中に地位を得た三浦氏よりも、名越一族と共に鎌倉を追われた他の御家人の方がよほど信用に値するのだろう。その思考は息子の義景にも受け継がれているが、やはり父親のほうが一段と荒い。
 景盛の気性も承知し、その発言がある意味では真実を示していることを感じながらも、時頼はただ頷くつもりはなかった。
「私は――今の三浦殿は信用に値するものと考えております」
「時頼!」
「お爺様の仰る意味は重々承知しております。ですが――いえ、だからこそ、今の三浦殿は大丈夫だ考えるのです。三浦殿が旗色を見て拠り所を定めるというのであれば、こちらが見限られないよう心すれば問題ないはずです」
 荒げた声にも臆することなく反論を口にした孫に、景盛は渋い表情を浮かべた。それから、若い執権を試すように、ゆっくりと低い声で問う。
「出来るというのか、それが?」
「執権たるものの務めの一つと心得ております」
 即答されて黙した景盛に、時頼は尚も言葉を紡いだ。
「より強いものに三浦殿が与するというのであれば、それはそれで構いません。もし見限られたとすれば、私の度量がそこまでであったという証。それよりも――裏切る気など毛頭ないという態度を見せる裏でこそこそと企まれる方が余程――」
「それは、我が安達のことを言うておるのか」
 始末が悪い――と続く言葉を遮って、声音も表情もいっそう厳しくなった景盛が、孫をまっすぐに睨み据えた。気の小さいものであれば怯えて声を喪いかねないほどの殺気の込められた視線を、時頼はなんとか受け止める。
 返答如何では容赦しないと言外に告げる眼差しに、ゆるりとかぶりを振る。
「いいえ。北条の――我が一族のことです」
 平家一門の仇敵であるはずの源氏の総大将を助けて地位を得、将軍となったものの血筋を絶やすことで権力の座を奪う。そうした代々の裏切りや謀略の果てに、北条の現在の繁栄は成り立っている。つい昨年も、本来主家であるべき前将軍を追放し、得宗の地位を狙う傍系を遠くに追いやったばかりである。他人の行為をとやかくいうには、この地位は穢れすぎている。それが時頼の偽らざる本音だ。
「時頼……」
 景盛の声音が、一瞬苦渋に満ちたような色を含んだ。とたんに、張り詰めていた空気が弛緩する。一度伏せられた視線が戻った時、入道の視線から怒りは消えていた。だた、たたえる色は相変わらず厳しい。
「お前が――執権たるお前がそう思うなら、儂は何も言わん。――が、儂が三浦を信用せんことも変わらぬ。もしもの時は、安達だけでも動くぞ。止めても無駄じゃ。三浦が少しでも北条や安達に仇なすと判ずれば、容赦はせぬ。それは――よろしいな?」
 よろしいな、などと口調だけは取り繕っていても、その内容は威しとほとんどかわりがない。止めても無駄と言いきられては、返す言葉もない。
「止めても無駄と仰せられるのでしたら、私は何もいいません。ただ――無用の争いも望みません。荒立てる必要のないことを殊更に煽ることは控えていただきたいのです」
 止めはしないがこちらからは手をだすのは控えてくれ、と告げて、時頼は静かに目を閉じた。これで激怒されたらその時だ、と覚悟の上での反論であった。
「なるほど、お前も――もう子どもではないというわけか……」
 微かな衣擦れの音と共に座した巨体が立ちあがる気配にも、時頼は動かない。その頭上に何処か穏やかで、それでいで哀しげな声が落ちてくる。
 尚も時頼が黙したままでいると、立ち上がった景盛は一つ溜め息をついて部屋を出ていった。
 ほんの少し閉め損ねたらしい扉の隙間から、ふわりと初夏の近付いた風が吹き込んでくる。外の陽気をも運んできたその風が、ようやく冷めきった室内を暖める。頬を撫でた気配が完全に失せた頃、時頼は身じろぎした。
 双眸を開き、握りしめていた拳を緩める。じっとりと汗で湿った両の掌に爪痕が赤く浮び上がっているのを見、口端が自嘲するように持ちあがった。
「泰盛、もう入って良いぞ」
 ひとしきり声なく嘲笑ってから、時頼は背後に向けて声を掛けた。
 カタン、と壁が軋み、時頼の座した背後の板が横へずれる。
「だ、大丈夫か、兄者?」
 現われた部屋から転がるようにして出てきた泰盛が、まわり込むようにして時頼の前に座り込んだ。息を潜めて二人の様子を探っていた緊張のせいか、額には汗が浮かんでいる。
「大丈夫なものか。爺様は最初から気付いていたぞ。――というより、お前、爺様が何かするとでも思ってるのか?」
「い、いや、そういう訳じゃないんだが・・・・」
 隠れて話を聞いていたことに気づかれていたといわれ、額に浮かぶそれを冷や汗に変えつつ、泰盛が口篭もる。
 ではどういう理由だと問われても、泰盛は明確な回答を持ち合わせてはいない。何かあったら――とは思いはしても、その何かを具体的に上げることは出来ない。もし万が一、激した景盛が従兄に手を上げたとしても――彼一人で止めることは不可能だ。己の祖父を警戒すること自体がいっそ馬鹿げた話だが、そもそも丸腰で潜んでいたのだから、護衛の役割すら果たせてはいない。
「爺様が、滅多なことを言い出すんじゃないか、心配だったんだ。元々こっちの話なんか聞きやしないだろうし、今回は親父も止める気がなさそうだし」
「充分滅多なことだったじゃないか。お前が気を回したところでどうにもならないだろうが」
 ぼそぼそと言葉を紡ぐのに、容赦なく言い切られて泰盛は臍をかんだ。景盛が孫の盗み聞きを黙認したのも、聞かれようがどうしようが問題ない相手だと見なされていたためである。それは分かっている。
「じゃあ、どうしろっていうんだ・・・・」
 気になって仕方がなかったのは確かだが、それを言ったところで埒はあかない。どうしろもなにも、彼がここでどれだけ気を揉もうが意味がないことくらいは自覚している。
 それでも、あまりにそっけない従兄の物言いに、泰盛は憮然とした表情で崩した膝を引き寄せた。
「気にするな。ただの八つ当たりだ」
 口端を持ち上げた、人の悪い笑みに力が抜ける。だがそれも一瞬で、まっすぐに視線を交わらせた二人の表情には険しさがにじんでいた。
 景盛は三浦の言動が気に入らないと、はっきりと口にした。また、もし何らかの事態が起きれば、安達だけで戦を起こすことも厭わないとも言いきった。
 この先、三浦氏が少しでも不穏な動きを見せたならば、また、それを執権たる時頼が御し切れぬと判断した時は。安達景盛は、間違いなく一族郎党を率いて決起するだろう。
 そして――そうなれば。
 泰盛は、安達一門の一人として、また次代を継ぐ嫡子として、それに加わらなければならない。それどころか、戦の先頭に立つのはほぼ確実に彼だ。
「俺は、どうしたらいい?」
 執権が――時頼が望まぬという戦は、したくない。だがそれなってしまったら、抗う術はない。
「知るか。それくらい、自分の頭で考えろ」
 縋るような視線を向けてくる従弟に時頼は短く吐き捨て、座を立った。

「時頼殿――」
 執務室に泰盛を置き去りにして足音も高く自室に向かっていた時頼を、実時が呼び止めた。
 ひどく昂ぶる感情そのままに無視してしまいたい衝動を何とか押さえつけて、時頼は歩みを止める。
「やはり――波は立ちますか」
「ええ、恐らくとびきりのが」
 表情を読んでの言葉に、応じる声に棘が混じる。
「爺様は何かあれば起つという。私は、この鎌倉に戦は望まない。真逆がぶつかれば、波は高くなるでしょうね」
「真逆がぶつかるからこそ、波を打ち消すこともありましょう。――時頼殿、この鎌倉の舵取りは貴方です。船が生きるも死ぬも、時頼殿の判断一つ。思う通りにやられればいい。私には、船が沈まぬように、僅かばかりの助言しかできませんが」
 実時の穏やかな声音に、時頼はようやくそちらに顔を向けた。
「今、この鎌倉の執権は貴方なのですよ、時頼殿」
 学者肌の好男子と囁かれる実時の表情は、なまじ整っているだけに冷たい印象を与えることが多い。丁寧な言葉遣いとも相俟って、鋭利な刃を思わせる。
 だが、実時は穏やかに笑んでいる。
 強張って――虚勢を張るために無理に力を込めていた時頼の両肩が、ふっと落ちる。落ちて、緊張がほぐれる。
 一瞬、閉じた眼裏に幼い頃の記憶が甦る。
 今は亡き兄、前執権経時の言葉である。
『兄上、もし自分が正しいと思ったことを、周りの者に反対されたとしたら兄上はどうしますか?』
『そうだな・・・・いきなりどうしたんだ?』
 そんな問いかけをしたのは、兄も元服を迎える前だったはずだ。いつも本を広げ勉学に勤しんでいた兄に、尋ねてみたのだ。兄はいつか執権職を継いで鎌倉を統べる者になるのだと聞かされていたから、おそらくは、政というものに子どもながら興味を抱いた時期だったのだろう。
 どうしてそんなことをと首を傾げた兄に、ただ訊いてみたくなったのだと応えると、兄は不思議そうに笑ってから彼の考えを教えてくれた。
『自分が正しいと信じたならば、それを貫くべきだ。もしも間違っていたとしたら、それに気づいた時きちんと直せば良い。私はそう思うぞ。それに、本当に正しいと思えるくらいなのだから、反対されたからといってお前は曲げられるのか?』
 子どもの考えそうな単純な言葉ではあったが、経時は笑顔でそう言ったのだ。
 今、それを思い出した。
「――ありがとうございます」
 時頼は、深く頭を下げて実時に礼を述べる。
「私は、なにもしてはおりませんよ」
「いえ――」
 時頼は、小さく頭を振った。
 兄の――それこそ幼い子どもの言葉ではあったが、それを思い出したことで時頼の中で何かが吹っ切れた。
 本来届かぬはずの執権の地位が転がり込んできたことで、困惑ばかりが先にたっていたが、どういう経緯であれ、今、鎌倉を動かしているのは彼自身である。彼が揺らげば幕府の屋台骨そのものが揺らぐのだ。
「決心がつきました。実時殿、折衝役を任せてもよろしいでしょうか?」
 戦を望まないと公言した以上、それをどこまで貫けるか。経時の言葉通りやってみようと思えたのだ。
「三浦殿と、ですね。ええ、私で務まるのでしたら、喜んで」
 強張りの消えた表情で笑ってみせる時頼に、実時は力強く頷いた。



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