夢、何処 2


「ああ何だ、こんな所に居たのか。探したぞ、兄者」
 将軍の御所で催された正月の宴を抜けだして、独り夜風に当っていた時頼は、近付く気配に肩を竦めた。
 宴の席から遠く離れた中庭には、騒々しさも届かない。月は出ていないが、酒の入った体には初春の夜風が心地よい。
「今日の主役はお前だろう。席を外したら頼嗣様の機嫌を損ねるぞ。ひどく気に入られてたじゃないか」
「将軍様ならもうお休みになった。兄者は居ないし、半分くらいが潰れてる。あんな所にいても面白くないぞ」
 濡れ縁に腰掛けたまま振り向かない時頼の横に立った泰盛も、肩を竦めて息を吐いた。
 このような宴は面白い面白くないで出席するものではない。それこそ、酔いに任せた会話の中にも駆け引きや腹の探り合い、政がある。この先、安達の当主を継ぐかもしれない人間が、厭だなどという子どもじみた理由で抜け出して良いものでもない。
 そう――苦言を呈するには、厭だという理由で早々に座を外した時頼は立場が悪すぎた。肩をすくめて苦笑を返し、沈黙を守るしかない。
「酒が呑みたいならいくらかくすねてくるぞ。どうする?」
「いや――」
 時頼は静かに首を横に振った。最近は酒を呑む回数が減っている。不味いとは思わないが、呑んでも酔えない。特に執権の職を継いでからこちらは、酒を楽しむという感覚が遠のいた。
「少し、風に当ってるんだ。お前は、別に付き合わなくてもいいんだぞ」
「俺は、構わないんだけど。――そういえば、こんな風に話すもの久し振りじゃないか?」
 邪魔なら退散するぞ、と従兄の顔を覗っていた泰盛が、ふと呟いた。
「そうだな。お前が――やたらと動いているからだろう」
 この一年ほど、執権職にある時頼程ではないものの、泰盛は多忙になっている。将軍の呼び出しで御所に詰めていたり、父親の代理を任されることが多くなったからだ。彼自身が特に幕府の役職についているわけではないが、頻繁にあちらことらと飛び回っている。
「そういえばお前、頼嗣様に矢を教えるのか?」
 失礼にならない程度で抜け出す前の宴は、ほとんど泰盛の祝宴と化していたはずだ。それをふと思い出して、時頼は従弟を振り仰いだ。
『泰盛ならばと思っていたが、やっぱり凄いな!』
 遠笠懸を成功させた若武者に、宴の主催たる頼嗣は、そう少年らしい手放しの賛辞を送っていた。
 将軍の言葉に、時頼は、ああと頷いた。元々、武芸に関して泰盛の腕前は、鎌倉中でも抜きんでている。そのため、騎射奉納に射手として名を連ねていることに、何の疑問も抱いていなかった。そういわれてみれば、今回泰盛は、将軍直々の指名によって奉納を行ったのだった。
 安達一門は、元々京都の朝廷との繋がりが深い家柄である。特に、先年父親の名代として、京都御所の警護頭を勤め上げた泰盛、は公卿たちからの覚えがよかった。鎌倉に戻ってきてからも、先代の将軍によく可愛がられていた。明確に執権側の立場をとる安達の直系ではあるが、その屈託のない性格ゆえか、将軍をはじめとする面々にひどく気に入られているのである。頼嗣に至っては、ほとんど兄を慕うように懐いている。御所の警護役の際には特別に将軍の寝所の隣に部屋が与えられているし、つい先頃には、泰盛を将軍の近習にと望む旨の打診があったばかりだ。
『なあ、泰盛。今度弓を教えてくれないか?』
『頼嗣様がお望みならば、よろこんで』
 少年の弾んだ言葉に、泰盛は笑顔で応じてみせたが、周囲の者は驚きの表情を浮かべた。関白の血を引くこの少年は、これまで武家の習慣などにはほとんど興味を示すことがなかったからだ。将軍とは武家の頭領だが、将軍自身は武士ではない。公家たる者に乗馬も弓も不要とは、前将軍の代からの習わしである。
 実はそれは、将軍と北条氏の対立と言い換えても過言ではない背景をはらんでいる。誰が、鎌倉を実際に束ねる権力を握るのかという争いだ。
 将軍と執権の確執は、二年前にほぼ決定的なものとなった。
 二年前、時頼の実兄であった当事の執権北条経時は、次第に政治への関心を強め始めた四代将軍九条頼経の勢を削ぐために、僅か五歳の息子頼嗣を強引に将軍に擁立した。
 頼経は、将軍の正統な後継である源氏の血が三代で途絶えた後、遠縁ではあったが源氏の血を引く者として鎌倉の地に招かれた。その時わずか二歳の幼子であった。政治への期待などはなく、ただ執権の傀儡となることを望まれていた。
 だが幼子は長じるにつれ、自ら進んで政に携わる姿勢を見せ始めるようになった。それは本来、歓迎されるべきことのはずだった。だが幕府の実質的権力は、その時すでに北条一門の手の中にあり、頼経が自らの意思を持って積極的に政を行おうとすることは、表向き将軍の補佐という立場をとる執権にとって、全く喜ばしからざるものであった。そして、彼らにとってなお頭の痛いことに、北条傍系の一族やその他の有力御家人の中に、将軍と懇意にすることで、幕府内での地位の拡大を目論む者が出はじめていた。
 それに対し経時は、息子への将軍職継嗣という形で、頼経から最高権力を奪ったのである。
 将軍の首をすげ変えることで、将軍と執権の力の差を歴然とさせることが目的だった。
 しかしその翌年、政の安定を得ることなく経時が病に没し、執権職は弟の時頼が継ぐことになった。
 その際、将軍継嗣に絡んでくすぶっていた火種が一つの騒動を起こす。
 北条氏傍系の名越一族と、前将軍頼経が手を組み、若干二十歳で執権となった時頼を、その職から除こうと企てたのだ。鎌倉内外に、頼経が執権排斥のために起つという噂が、まことしやかに広がった。時頼側が先手を打って挙兵自体は阻止されたが、一時鎌倉市中が封鎖され戒厳下に置かれるという非常事態に陥ったことは、まだ記憶に新しい。
 結果的に、騒動の首謀格と見なされていた名越光時、時幸の兄弟は出家し、伊豆の国へと配流された。そのほかに名前を連ねていた御家人たちも――特に幕府の要職に就いていた者たちであるが――その役職を罷免されている。
 ほとんど唯一ともいえる例外は、時頼の懐柔案を受け入れ、執権側に寝返った三浦氏であった。
 そもそも、前将軍や名越兄弟を始めとする御家人達の処断は、累が及ばぬことを約束された上で、実はあの噂は――と三浦氏が進言した結果なのだ。その進言自体は、寝返った際の条件の一つとして、時頼側から提示されていたものである。実のところ、時頼の執権就任という機会に、執権を快く思わぬ勢力を一掃するべく、すべてが仕組まれた更迭劇であったというのが正しいのかもしれない。
 また、噂の旗頭として持ち上げられていた前将軍頼経は、夏の終わりに京都へと送還された。
 そして鎌倉には、最高権力者の座に祭り上げられた八つの子供だけが残ることになった。彼は子供ながらに、父親をはるか西の地に遠ざけ、かつ自らの後ろ盾となるはずだった御家人たちを奪った相手を、正しく認識しているのだろう。時頼に対する頼嗣の態度は、ひどく冷淡である。だからこそ余計に、父親にも気に入られていた泰盛に甘えているのかもしれない。
「ん? 今のところ、頼嗣様の気が変わらない限り教えて差し上げる約束だぞ」
 振り仰がれた泰盛は、楽しそうに頬を緩めた。
「そうか。それにしても、少しでいい、頼嗣様との親密さを分けてほしくなるな」
「あぁ、うん、けど、頼嗣様は兄者の話になるとご機嫌が悪くなるからな……」
 露骨に表情を曇らせ眉間に皺を寄せる泰盛に、時頼は肩をすくめた。
「冗談だ。お前に頼んで将軍様のご機嫌が直るなら、とっくに利用させてもらっているさ」
 宴の始めに御家人達からの新年の挨拶を受けた頼嗣は、時頼の姿に表情を強張らせた。父親が北条得宗家転覆の旗印に奉り上げられていたことを知らないからか――そもそも執権とは将軍の補佐を任された御家人の一つであるにすぎず、その執権の座を争うが故に主人筋である将軍が失脚するということ自体がおかしな話ではあるのだが――、彼にとって時頼は、憎むべき対象に他ならない。また、その相手を目の前にして無表情を取り繕えるほど、大人でもないし政に長けてもいない。そんな状態の子供と、表面上でも友好を結ぶのは土台無理な話だろう。時頼は、出来る限り少年との接触を避けるよう心がけていた。
 むしろ時頼にしてみれば、母方の従兄弟という血縁に加え、先の騒動にしても一族を挙げて北条側についた安達の宗家の御曹司が、将軍父子のみならずその側近からも信頼を得ていることの方が、不思議で仕方がないのだが。
「利用云々はともかく、そうなるとますます忙しくなるなお前は」 
「ああ、うん。そう、なんだけどな……」
 からかう口調に、ふっと泰盛の表情が曇った。何か気になることがあるのか、歯切れが悪い。
 時頼は続きを促すこともせず、泰盛が喋るに任せて無言を返した。
「最近、親父の考えが良く分からん。自分の役目をやたらと俺に代わらせるし、何かの席には連れていきたがる。この前まで、お前には関係ない、の一点張りだったっていうのに」
「伯父上はお前に、安達を継がせるおつもりなんだろう」
「うん、まあ、それはそれで……構わないし、どちらかといえばありがたい話なんだが……」
 相変わらず渋い表情のまま、泰盛は手近に転がっていた石を引き寄せて腰掛けた。
 泰盛の上には二人の兄がおり、本来なら家督相続とは縁のない位置にいる。長兄や次兄を差し置いて――という形ではあるが、父親が彼に家督を譲る意思を見せることは願ってもないことである。この先政に関して時頼を補佐していこうと思えば、相応の地位がいる。北条一門でも得宗家の被官――従者でもない泰盛が必要な地位を得るには、家督を継ぎ安達家の当主となることが最も近道なのだ。彼自身、そのことは充分に理解している。
 だが――。
「兄者、最近の親父の言動は、少しおかしくないか?」
 問いかけて見上げる泰盛の双眸には、はっきりとした困惑の色が浮かんでいる。
 時頼は、その視線から逃れるように顔を上げた。
「口を開けば安達一門の結束がどうのと繰り返してばかりだし、最近やたらと機嫌が悪いし……」
 酒の量も増えているみたいだ、と呟く泰盛の言葉には応えず、時頼は静かに目を伏せる。最近の言動がおかしいのは、何も安達の当主だけではない。
「それはまぁ、状況を鑑みるに致し方ないことではありますね」
 どう言葉を継いでいいかわからず、時頼の半端に開いた唇から意味のない音が零れるよりも早く、二人の背後から声がかかった。
 振り向くと、細面の男が一人、中庭に面した廊下の柱に持たれてこちらを見ている。
「実時殿」
「お二人の姿が見えないので、探しに参りました」
 実時は、北条一門の重鎮の一人である。金沢の地に居を構えることから金沢実時とも名乗るこの男は、年齢こそ時頼や泰盛より数歳年上なだけだが、系譜的には時頼の父の従兄弟に当たる。鎌倉一の知恵袋とも呼ばれる程の博識であり、政治的な助言者としても軍師としても有能な人物である。
 実時は、組んでいた腕を解いて微笑んだようだった。
「先年の騒動は、まだ色々と尾を引きそうですから」
 時頼は、先ほど酒宴の席での泰村の様子を思い出した。左右に座する者たちと談笑するその表情には、反北条から執権方へと鞍替えしたことへの後ろめたさなどは微塵も見うけられなかった。
 更迭劇が三浦氏の裏切りによって行われたことは、誰も口には出さないものの、御家人の間では周知の事実である。それを重々承知した上で、むしろ彼らは、己の行動によって執権側が勝利を得たのだという振る舞いさえも見せている。近頃では――裏切りにあたって示された優遇措置の一つではあるのだが――、幕政の重要な会議などにも列席する資格を与えられ、物怖じすることなく意見を述べてくる。
「三浦殿がさすがと言えばさすがですが――、古くからの重鎮の方々は、やはり面白くないご様子」
 裏切りも寝返りも、政を推し進める上では否定できない側面ではある。だが、その当事者が、組織の中で我が物顔に振舞うことには、誰しも抵抗を覚えるものだ。処断されなかっただけありがたいと思って大人しくしているべきだ、という空気は当然ながら強い。信用ならない人物という評価を与えられ、普通であれば、肩身の狭さ、居心地の悪さを感じて萎縮してしまってもおかしくはない。その代わり、もし周りの雰囲気に押されて我が身を慎むのであれば、それだけの力量しかなく、無害なものと判断され軽んじられる。悪びれることなく堂々と振舞うことで、初めて己の立場を確保できることも、また事実ではある。
 その点を、三浦泰村は心得ていたのだろう。物怖じもせず悪びれもせず、堂々と胸を張っている。彼の一族が生き残るにはそれが一番の方法だ。
 だがその結果、それまで何とか安定を保っていた権力の均衡が、脆くも崩れてしまっていた。。
 前将軍と、それを擁立しようとしていた勢力が一掃され、相対的に執権の力が増大した形になった。今まで前将軍方に寄っていた中小の御家人たちにとっては、ほとんど死活問題である。どうやって執権の下で自らの地位を確保するかに、揃って躍起になっている。
 そこへ来て、時頼の懐柔を呑んで寝返った三浦氏の存在は大きい。武士としてある種恥じるべき行為ではあるが、悪びれもせずそれを前面に押し出したことによって、幕政のなかでそれ相応の地位を確保してしまった。
 前将軍に寄りかかっていた御家人達にとって、三浦氏は格好の大樹となった。今更執権に媚びへつらっても、どれだけの保証があるとも限らない。それに比べれば、元は自分たちと同じ反執権方の人間である三浦氏は、望むか否かに関わらず、北条家に多少なりとも不満を抱く者たちの総大将にまで登りつめようとしていた。
 つまりば、前将軍を旗印に名越一門の主導の元に集まっていた勢力が、そっくりそのまま三浦氏の元に移動したということだ。
 否、ただ単に移動したということだけでは済まない。三浦氏は、寝返りの代償としてそれ相応の地位を約束されている。執権方は、懐の中に叛乱分子を抱え込んでしまった形になるのだ。
 前将軍の更迭、名越一門の配流の結果、一旦は執権方に優勢に傾いた。しかしその力関係は、本来反執権勢力の一部でしかなかった三浦氏を頂点に押し上げることで、反対側に傾き、均衡を取り戻そうとしているようだ。
「特に伯父上は、三浦殿を快くは思っておられんからな」
 時頼は、不快感を隠すこともしない、安達の現当主義景の態度にため息をついた。
「快く? あれは毛嫌いしてるっていうんじゃないか? この前なんか、どうせなら懐柔などされずに名越殿と命運を共にするべきだ、だの、武士の風上にも置けない奴だ、だの息巻いて、宥めるのに本当に苦労した。うちの屋敷でのことだからいいようなものの……、兄者のことまで悪く言ってたからな。他であんなことを言われたんじゃ、堪ったものじゃない」
 よほど苦労したのか、その時のことを思い出した泰盛は、眉間に皺を寄せて低く唸った。
 時頼は一瞬苦笑するように目許を細めたが、すぐにそれを消して表情を引き締める。
 均衡が崩れ片方に大きく傾いた天秤は、いつか大きな力で逆方向に跳ねあがる。それは、もとの安定を取り戻そうとしての動きに他ならないが、一度の動きで安定は戻らない。揺れ始めた天秤は、何度も左右に振られ、それからようやく落ちつくのだ。その間に、器に盛られた水は波打つ。そして、その中のいくらかは確実に零れ落ちる。
 たとえ動きが収まったとしても――、その場所は決して動き出す前の位置ではない。
「泰盛」
 時頼は、泰盛ではなく黒く闇の落ちた庭を見つめながら従弟を呼んだ。
 傍らから見上げてくる視線を感じながら、言葉を紡ぐ。
「鎌倉はまだ揺れるぞ、覚悟しておけ」
「兄者、一体――どういうことだ?」
 静かな声音で物騒なことを言い放った時頼に、泰盛が目を見張る。説明を求める視線には応えず、彼は瞼を伏せた。
「兄者? 何かあるのか?」
 重ねての問いかけには首を振る。
「分からん。何もなければそれに越したことはないが――、厭な予感がするんだ。だからお前も、覚悟しておけ」
 曖昧な言いように、どことない不安を感じて、泰盛は従兄を見やった。だが、時頼にしても、一体何がどうなのか、はっきりといえる程のものは見えていない。ただ、漠然とした不安――このまま何事もないはずがないという根拠のない予感が、言葉を紡がせたのだ。理由の分からぬ苛立ちが、棟のうちで膨らんでいく。
「何か、あるかもしれないんだな」
 暫くの沈黙のあと、従兄の苦渋を察したのか、泰盛の口調が変わった。
「兄者がそういうなら、間違いないだろう。俺は、何をすればいい?」
 全幅の信頼を寄せる言葉が、時頼の感情を落ちつかせた。漠然としたものを捉えるように言葉を紡ぐ。
「何を――とも言い難いんだが、おそらく、その時は伯父上も動く。とりあえずは、目を離さないでおいてくれ」
「親父を? 分かった。何かあったらすぐ兄者に報せる」
 己の父親を見張れというのも同じ言葉にさえ、泰盛は迷いもなく頷いた。
 初春の冷たい風が、廊下を吹きぬけた。ざわりと揺れた木々の葉擦れに混じって、遠くの宴の騒ぎがかすかに耳に届く。気を遣うべき主賓が全て退席しているのか、高低のとっぱずれた謡までが途切れ途切れに響いてきた。
「――賑やかだな」
「でしたら、お戻りになられますか?」
 実時の笑いを含んだ言葉に、宴の脱走者たちは顔を見合わせた。
「止めておく。今更戻ったところで喜ばれないしな。お前は、酒が呑み足りないなら戻っても構わないぞ」
 どうする、と尋ねられた泰盛は、結局横に小さく首を振った。
「どうだ、兄者。久し振りに遠駆でもしないか。弁財天様の所まで初詣に行くのはどうだ?」
 泰盛は館とは反対の、海があるほうに顎をしゃくって見せた。
「――悪くはないな。負けた方が酒を奢る。どうだ?」
「乗った」
 馬を取ってくると、軽やかに駆け去っていく従弟の足音を聞きながら、時頼はふと空を見上げた。
「それで、義景様が抑えられるとお思いですか?」
 その背に、実時の声がかかる。先ほどよりも静かな、抑えた声音だった。
「それとも覚悟とは、安達殿を切り捨てる可能性のことですか?」
 木々を揺らしていた風が凪いだ。時頼の耳に、己が吐き出した吐息がひどく大きく響く。
「実時殿、私はなるべく欲張りたいと思っているのです」
「ええ、執権は、時頼殿あなたです。お好きなようになさればいい。ただ――」
 裏切りをもって北条についた三浦氏を切り捨てれば、後々に禍根を残すことは必至だ。かといって時頼にとって外戚関係を結ぶ安達は最大の援護勢力であり、そこを軽々と切ることもできない。執権の苦悩を正しく理解した上で、実時はさらに言葉を継いだ。
「執権は北条一門のもの。最後に北条が残らなければ意味のないことは、分かっていらっしゃいますね」
 月のない空に、風にちぎれた雲が流されて行った。



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